適応障害から元気になる

適応障害と診断されて3ヶ月目。回復までの記録。

適応障害になったきっかけ

こんにちは。桃枝です。

退職してからずっとやきもきしていた離職票がやっと手元に届きました。

保険証が利用できなくなり病院にもいけない状態だったので

国民健康保険の手続きもして少し一安心です。

まだ傷病手当の審査結果が出ていないので問題は残っているのですが

 

今回は私が適応障害になったきっかけを書こうと思います。

 

そもそも適応障害とは、

適応障害は、ある特定の状況や出来事が、その人にとってとてもつらく耐えがたく感じられ、そのために気分や行動面に症状が現れるものです。たとえば憂うつな気分や不安感が強くなるため、涙もろくなったり、過剰に心配したり、神経が過敏になったりします。また、無断欠席や無謀な運転、喧嘩、物を壊すなどの行動面の症状がみられることもあります。

厚生労働省のHPより抜粋)

私にとっては特定の状況というのは「仕事」でした。

 

正直、私は精神的に強い方ではありません。

中学~高校の頃はリストカット

短大生の頃はうつ状態+拒食症寸前になることもありました。

ただ、経済的事情等でどうしても私自身が仕事をせずに生活を送る事が不可能だった為、

どんな状態でも仕事をする必要はありました。

 

適応障害を発症した時、私はサービス業(販売、カウンター業務)をしていました。

自分の事は過小評価(自信がない)為、どれだけの評価を受けていたかは体感としてはっきりわかりませんが、職場にとって私は重宝される存在だったようです。

 

私は、バカ真面目というかしっかりしていると言われる事が多い性格です。

この病気になりやすい人の特長の性格にはピタリと当てはまります。

それもあり、後輩や上司には頼りにされる事も度々ありました。

 

それが勿論、仕事のモチベーションになる事も多くあります。

自分に自信が持てない性格ですが、それでも職場である程度評価されていることは多少の自信になっていきました。

その自信が、逆に「ここまで評価されているならここはキチンとしなきゃいけない」

「周りの人も大変なんだから私がなんとかしなきゃいけない」

「ここで上司の手を煩わせる為にはいかない」

と考える様になってから、周りの顔色を気にしたり、

家に帰っても明日の仕事は何を優先しなければならないのか、を考えたり

気づくと1日仕事の事しか考えていない時間が多くなっていきました。

そんな事を続けていたら、気づくと他スタッフがやりたくない雑用等も担当が私になっており、請け負っている業務が過度に集中している状態になっていました。

サービス業の為帰宅は23時近くになり、家の事も全くこなせない事も多くなっていきました。

 

勿論、私にはこれ以上無理だということを相談したりしたこともあります。

担当を他スタッフに依頼することも行いました。上司に相談もしました。

しかし、それでもそのスタッフは「ギリギリまで待てば私がなんとかしてくれる」と知っていた為、雑用に手をつける事はほぼありませんでした。

それでもその人は私より営業の成績が良い為、評価は自分より高いと感じていました。

そんな日常の中で

「自分のしたいことだけ仕事をしている人が評価される」

「なぜ私だけこんなに1日バタバタしているんだろう」

「なぜ私だけここまで考える事が多いのだろう」

「みんな大変なのに私だけ弱音を吐いてはいけない」

「自分の限界を決めてはいけない」

と考えながら毎日を過ごしていました。

 

他にも思い当たる事がありますが、あまり書きすぎると職場を特定されそうなので控えますが

この上に書いた事の積み重ねが私の原因だと思います。

 

適応障害と診断される前から体調が悪かったり、朝まで眠れない事もありましたが、

仕事を休むわけにはいかない、と鎮痛剤や胃薬を飲みながら仕事に向かいました。

また、体調が悪いのは決まって午前中で、出勤し夕方頃になると調子が良くなっていたため、それも仕事をなんとかこなすことができたのだと思います。

 

しかし、数ヶ月前のある朝、発症は突然でした。

身支度をしようとしたら動機がし、吐き気がし、涙が止まらなくなったのです。

出勤しよう、仕事に行こうと思っても体が動きませんでした。

 

あの場所(職場)に行こうと考えるだけで頭が真っ白になりどうにもできなくなりました。

 

 

そのまま欠勤の連絡をし、病院へ行こう、と思った時にはもう受信する科は自分の中で決めていました。心療内科へ行こう、そう思いました。

もうこれは私の限界なのだ、と思いました。

心療内科にいけば職場でどう思われるか・このあと自分がどうなるか・仕事を続けられるのか

そんな思いも頭をよぎりました。

しかし、それよりも私はこの動機や吐き気や涙を何とかしたかった。

楽になりたかったのです。

 

「自分の限界は自分が決めるものではない」

「限界だと思った所から頑張ればなんとなる」

これは、上司の言葉でした。そして、私が仕事に行きたくないと思った時の原動力でした。

しかし、その言葉ではどうにでもならない状態になっていました。

 

そして心療内科を受診した結果、適応障害と診断されました。

 

以上が私が診断に至った経緯です。

他の適応障害で悩んだ方のブログを拝見すると、

私の理由は甘いものなのかもしれません。

ただ、もし今仕事で苦しんでいる方で私の様な考え方でいらっしゃる方がいるなら、

体調の悪さに鞭打って仕事をしている方がいるなら、

自分の体の事を考えて頂けるきっかけになればいいと思っています。

 

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